共同募金のルーツ/「赤い羽根」の由来/共同募金の特徴
昔、スイスの小さな村で1人の牧師が、生活に困っている人や病人、老人を助けるために、道端の木に「与えよ、取れよ」と書いた箱をつるしておきました。
これをみた村人の中で、多少とも余裕のある人はその箱の中にいくらかのお金を入れ、困っている人は箱の中から必要なだけお金を取っていきました。
この「たすけあいのこころ」が赤い羽根募金の始まりと言われています。
赤い羽根募金には、そんな優しい気持ちがつまっています。
共同募金運動は、昭和22年(1947年)に全国一斉に始まりました。
当時は戦後の混乱期であり、生活困窮者と戦災孤児の激増など、深刻な社会的・経済的混乱のなかにあり、民間社会福祉施設は戦災によって激減し、物価の高騰、物資の入手難などによって、復興はおろか施設の維持さえも困難な状況となっていました。
このような状況の中、国や県などの公費を民間の社会福祉事業に使ってはならないことになり、民間社会福祉事業は大変な財政難に陥りました。
併行して、厚生省(現在「厚生労働省」)が提唱した、国民の“たすけあいの心”を喚起する「国民たすけあい運動」の一環として、第1回の共同募金が昭和22年11月25日から12月25日までの1カ月を期間として実施されました。
この共同募金運動は、その時々の社会的課題に対する配分を行いながら今日まで継続して続いており、現在は、地域の福祉活動を推進するための財源等に活用しています。
70年以上の長きにわたって、住民同士がささえあうための活動を行っている運動は他に類を見ません。
共同募金運動は、住民相互のたすけあいを基調とし、地域福祉の推進を目的として、誰もが住みなれた地域で安心して暮らすことができる福祉コミュニティづくりへの住民の参加を促し、実現するための多様な民間社会福祉活動を財源面から支援する役割を果たすことが求められている。
共同募金のシンボルとして親しまれている「赤い羽根」が、共同募金運動のなかで登場したのは、第2回の共同募金運動からでした。
第1回の運動では、募金を行った証としてブリキのバッジを使用していましたが、バッジ以外に何か他のものはないか検討が行われました。
1948年頃、アメリカでも、水鳥の羽根を赤く染めて使っており、それにヒントを得て、日本では不要になった鶏の羽根を使うことになり、共同募金のシンボルとして、幅広く使われています。
ちなみに、共同募金運動は世界の43の国や地域で行われていますが、赤い羽根を使っているのは、日本と南アフリカの2カ国だけです。